14. 心理学の研究手法を他領域に活かす
https://gyazo.com/93a402d72f37170c3763894b196d1a0b
1. 運動イメージの応用
1-1. 運動イメージの研究
イメージ上で運動を再現する心的活動
運動をイメージしている最中に脳活動を観察したところ、そこで賦活される脳部位の中には、実際に運動をする場合と同じ脳部位が数多く含まれることがわかった
運動イメージの最中には、主要筋の筋出力は生じなかったことから、運動をイメージすることが実際の運動にかかわる脳部位の活動を惹起させたのだと考えられる
興味深いのが、運動イメージ想起中の一次運動野の活動 伝統的に運動の最終出力に関する部位とされ、そこに至るまでの知覚・認知情報処理には関わらないと考えられてきた
しかし、実際には運動イメージという認知活動の最中に、一次運動野が有意な活動を示すことがわかった
1-2. 運動イメージを学習に役立てる:メンタルプラクティス
もし運動イメージの想起に実運動の遂行にかかわるシステムが関与しているならば、目標とすべき運動を繰り返しイメージするだけでも、実際に身体を使った練習と類似の学習効果が得られるのかもしれない
メンタルプラクティスの発想それ自体は決して新しい発想ではない
最近の心理学的研究成果が健康科学やリハビリテーション科学領域の研究者や実践家の目にとまった
高齢者や障害者は実際に身体を動かす練習に長時間取り組めないことが多い
様々な実証研究の結果、メンタルプラクティスは以下のような条件が揃えば、運動学習を促進しうるように思われる(樋口, 2011) 思い浮かべるイメージが、三人称ではなく一人称的イメージであること
鮮明なイメージを描ける人を選ぶ、または事前に訓練すること
メンタルプラクティスを単独で実施するのではなく、実運動トレーニングと組み合わせて練習を構成していること
客観的評価法として脳科学的手法が加わったことにより、その研究成果には単に学術的側面のみならず、応用的側面からも重要性が高まっていることがわかる
2. 身体意識の応用
2-1. 身体意識の生起:視覚情報のインパクト
自分の身体がどのような状態にあるのかについての主観的理解・体験
一般に、身体意識とは身体表面や深部に埋め込まれている感覚センサーから送られる情報(体性感覚)により生起されるものと考えられる しかし実際には、身体意識の生起のために脳が活用する情報は実に多様であり、その中でも視覚情報のインパクトが大きい
参加者の腕を直接見えないようにして精巧に作られた模型の腕を置く
ブラシを使って参加者の手先と模型の手先を同じタイミングで触った
この操作を10分ほど繰り返すと、参加者は触覚を模型の手先で感じるようになった 2-2. 幻肢痛と腕の麻痺
視覚情報が身体意識の生起に対して強い影響を与えるという事実は、幻肢痛や麻痺した腕の問題の解決に貢献することとなった 幻肢とは、切断手術などによって実際には存在していない四肢について、患者が実在するかのように錯覚する現象 幻肢に対して感じる痛みが幻肢痛
幻肢痛の原因には当然、切断部位における生理的変化も影響するだろう
しかし、心理学系研究者の中には、痛みの原因は脳の情報処理のレベルにも存在すると考え、これが新しい治療法の発展につながった
https://gyazo.com/b3b4df150292c05517b749aa68e4bac4
この指令が出ると同時に、脳からはどんな指令を送ったのかという情報のコピー(遠心性コピー)が比較機構に送られている 運動が起こった後、身体のセンサーから動きに関するフィードバック情報が送られてきて、比較機構で遠心性コピーの内容と比較照合し、エラーの有無を脳の指令部に戻す
このエラーの内容に基づき次回の運動が修正され、運動が徐々にスムーズになるという模式図
四肢を切断したとしても、脳に異常はないため、運動指令は正常に発動されうる
しかし、実際にはその運動が起こらないために、感覚情報のフィードバックが欠損し、比較機構における情報の比較照合ができず、知覚運動ループが成立しない
脳はこうした混乱を嫌い、痛みとして警告を発しているのではないかというのが、幻肢痛に対する心理学的な理解
2-3. ミラーセラピー
鏡に映る四肢の動きを利用して切断肢あるいは麻痺した腕があたかも動いているような視覚情報を与える
四肢の可動の部位の鏡映像を浮動の部位の映像と思わせるという操作
石的に切断肢あるいは麻痺した腕を動かそうとしてもらい、鏡を通して、あたかも腕が動いているような視覚フィードバック情報を与えることで、破綻してしまった知覚運動ループを修復しようというもの
ミラーセラピーは、必ずしも対象患者全員に有効というわけではないが、その効果が実証されたという報告も年々増えている
ミラーセラピーは、身体意識に関する基礎的研究成果が、心理的な枠組みの中で模式化され、それがリハビリテーション領域の中で治療として活かされていることを示す好例
3. 歩行中の視覚機能に着目した転倒予防
3-1. 歩行中に得られる視覚情報の役割
一般にこれまで健康科学領域で実践されている転倒予防法といえば、筋力トレーニングや全身協応トレーニングなど、いわゆる身体的エクササイズだった
これに対して、歩行中の知覚の役割に関する心理学的研究がなされた結果、歩行中の瞬間的状況判断を磨くことや、視覚系と運動系を協調させて歩くことなどに注目が集まった
以下では、視覚情報の利用に着目したものを紹介する
3-2. あるきながらの状況判断
密集の中で接触を回避するには、環境と身体との関係を正確に知覚しなくてはならない
しかし、私たちは通常、自分の身体の幅を知識として正確に知っているわけでもなく、ましてや人の動きで劇的に変わる隙間の大きさに対して思考をめぐらすことはない
実は私達は「目の前の大きさが隙間の大きさが身体の大きさの何倍なのか」ということを歩きながら瞬時に知覚でき、隙間の大きさが肩幅の1.3倍よりも狭い場合には、「接触してしまう危険性がある隙間」と知覚し、肩の回旋をはじめている(Warren & Whang, 1987) 高齢者の中には、こうした状況判断能力が低下する結果、頻繁に接触してしまったり、急な減速や無理な回避行動によってかえってバランスを崩したりする場合がある
3-3. 歩行中の視線位置
高齢者の転倒危険性を評価する場合、従来は高齢者の筋力や関節可動域といった身体特性や、片足立ちなどの基礎的なバランス能力を評価することが一般的だった
最近では、高齢者が歩行をしながら、同時に状況を的確に知覚できる能力を評価すると行った新たな視点が加わった
その結果、転倒危険性の高い高齢者は、たとえばでこぼこ道や障害物のある道路など、環境に対する負荷が高い場所での歩行パフォーマンスが低下することがわかった
実環境の中で歩行しながら絶妙な知覚判断をするためには、歩行中の視線が遠方に向けられ、環境の状況を先読みできる状況を作る必要がある
ところが転倒危険性の高い高齢者の場合、環境に対する負荷が高い場面では足元のバランスを維持するのに必死であり、目線が足元付近に落ちてしまう
結果として先読みした知覚判断ができず、歩行パフォーマンスが下がってしまう
4. まとめ
心理学の研究成果は、身体運動に関わる隣接研究領域にも貢献している
そこで得られた成果は再度心理学分野の中で吟味され、心理学的研究自体の発展にも寄与するという循環関係がある